「私たちは、明るすぎる世界に住んでいる」 コンビニ、駅、オフィス、ショッピングモール。 現代の空間は、どこもかしこも「均一に明るい」ことを正義としています。 隅々まで照らされた空間は、確かに機能的で、衛生的で、安全。 でも、ふと気づくとそれは逆に 心が休まる場所が、どこにもないということ。 明るさは、私たちに「見えること」を強制します。 情報を、選択肢を、他者の視線を。 そうして、心はずっと"ON"のまま、休むことを忘れていく。 光を減らすことは、情報を減らすことになります。 暗い空間に入ると、視界が狭まる。 見えるものが限られる。 すると不思議なことに、意識が"内側"へ向かいはじめるのが分かります。 光が減ると、視覚から得る情報量が減る。 その分、心は自分自身の感覚に意識を向けられるようになる。 呼吸の深さ。 身体の力の入り具合。 光を減らすことは、自分を取り戻す行為かもしれない。 「暗い空間=静かな空間」ではなくて、 ただ照明を消せばいいわけでもありません。 大切なのは「どこを照らし、どこを照らさないか」ではないでしょうか。 たとえば、天井全体を明るくするのではなく、テーブルの上だけを柔らかく照らす。 壁一面ではなく、ある一点だけに光を落とす。 そうすることで、光と影のコントラストが生まれ、空間に"奥行き"と"静けさ"が宿ります。 光の量を減らすのではなく、光の役割を絞ること。 それが、心地よい暗さをデザインするということ。 影は、光の"引き算"が生む芸術です。 影があるから、光が美しく見える。 影があるから、空間に表情が生まれる。 影があるから、想像の余白が残る。 日本の伝統建築には、この哲学が息づいていますね。 障子を通した柔らかな光。 縁側に落ちる木漏れ日の揺らぎ。 行灯のゆらめきが作る、壁に映る影絵。 それらはすべて、「見えすぎないこと」の豊かさを教えてくれるのです。 LED照明の普及によって、私たちは「明るさ」を簡単に、安価に手に入れられるようになりました。 それ自体は素晴らしいことだと思う。 でも同時に、光のグラデーションを失ってしまいました。 昔のフィラメント電球や蝋燭の光には、揺らぎがあり、色の温かみがあり、 距離によって減衰する自然なグラデーションがあった。 それが空間に"呼吸"を与えていた。 一方、現代のLEDは均質で、鋭く、変化に乏しい。 それが、知らず知らずのうちに私たちの神経を緊張させているのです。 「照らさない勇気」を持ってみましょう。 インテリアを考えるとき、多くの人は「どこに照明を置くか」を考えますね。 でも本当に大切なのは、「どこを照らさないか」を決めることだと思います。 リビングの隅。 寝室の天井。 廊下の奥。 すべてを照らす必要はありません。 むしろ、照らさない場所があるからこそ、照らされた場所が際立つ。 光と影のメリハリが、空間に物語を生みだします。 もちろん光を減らすと、見えなくなるものがありますが でもその代わりに、見えてくるものもあります。 自分の内側にある感情。 大切な人との距離感。 時間の流れ方そのもの。 暗い空間では、人は自然と声のトーンを落とす。 動きが穏やかになる。心が、ゆっくりと呼吸しはじめる。 明るさは機能を満たしますが、暗さは心を満たすと思うのです。 これからの時代、私たちに必要なのは「もっと明るく」ではなくて 「ちょうどいい暗さ」を選ぶ感性だと思っています。 光をコントロールすることは、自分の時間をコントロールすること。 光を減らすことは、心に余白を作ること。 あなたの部屋に、ちょうどいい"暗さ"はありますか?? もしまだなら、今夜、ひとつ照明を消してみてください。 そこに、小さな静けさが生まれるはずです。
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